Vol.11 新しい年を迎えて

2018.01.09

 新年あけましておめでとうございます。
 さて、2017年末、松沢病院は、NHKの取材を受けました。全国の精神科病院における身体拘束率が年々増加しているにもかかわらず、松沢病院の身体拘束が年々減少し、全国平均の10分の1ほどになっているのはなぜか、というのが取材のテーマでした。職員一同の年来の努力が認められて、嬉しい出来事でした。この取材は、クローズアップ現代プラスという番組で放送される予定です。
 たまたま、この直前、呉秀三先生の事績をたどるドキュメンタリー映画の撮影もあって、私も松沢病院長としてインタビューを受けました。院長として恥をかかないように、呉秀三の松沢病院長としての業績について予習をしました。呉秀三は、日本の精神医学創成期を牽引した巨星です。学問的な業績の他に、精神障碍者の処遇を人道的見地から改善したという事績によっても知られています。1901年、3年間のドイツ、オーストリア留学から帰朝した呉は、同年10月東京帝国大学医科大学教授、11月には松沢病院の前身である巣鴨病院医長(当時の院長)となります。時に、呉秀三36歳。病院長となるや、呉は患者の処遇改善のために猛然と働き始めます。着任早々の11月、患者の身体を拘束する革製の手枷、足枷、丈夫な布でできた拘束衣の使用を禁じ、隔離室の使用を制限します。呉は、この指示が徹底しないと知ると、翌1902年1月にはすべての拘束具を自分の手元に集め、さらに同年2月28日には、集めた拘束具をすべて焼却しました。並行して隔離室の面積を広げ、窓を設け、一般病室の患者に対しては、種々の作業を提供したり、音楽会を催したり、あるいは遠足などのレクリエーションを取り入れ、情操の安定に努めました。その結果、拘束具を撤廃することで患者の暴行事故が増えるのではないかという周囲の心配に反し、入院患者は穏やかな日常を取り戻し、1902年には4.5%だった隔離患者が、1905年には1.2%に減少したのです。
 さて、ドキュメンタリー映画の撮影からしばらく後、NHKの取材に対して私たちが過去5年間続けてきた身体拘束最小化の試みについて語りながら、私は、不思議な気持ちになりました。私たちがやっていることは、100年前に呉秀三がしたことと、どう違うのだろうか、という思いです。どう考えても、違いを見出すことはできません。呉秀三の時代には、向精神薬も、電気ショック療法もありませんでした。巣鴨病院の職員には、たくさんの患者さんが含まれており、専門的な教育を受けた看護者などいませんでした。それに対して、現在の松沢病院には、鎮静のための薬剤があり、mECTを行うための施設があり、高い訓練を受けた医師、看護師、その他のコメディカルスタッフがいます。それなのにどうして私たちは、100年前と同じことをしなければならなかったのでしょうか。
 100年前と言えば、1918年、呉秀三・樫田五郎による 『精神病者私宅監置ノ実況及び其統計的観察』という報告書が出版されました。これは、当時、日本全国で行われていた精神障碍者の私宅監置の実情を調査した報告書です。報告書の中には、劣悪な住環境の中に押し込められ、人間としての尊厳を奪われた多くの精神障碍者の惨状を写した写真が掲載されています。
 2017年も押し詰まった12月26日、衝撃的な事件が報道されました。大阪府寝屋川市の住宅で、33歳の女性の遺体が発見された事件です。両親が、精神疾患を発症した娘を、17年間にわたって、自宅の一室に鍵をかけて幽閉し、結果として衰弱により、死に至らしめたというものです。私はこの事件を報じるテレビニュースの画面を見ながら、呉秀三の報告書の写真を思い浮かべました。寝屋川事件は、精神に重い障碍を持つ人に対する社会の態度が、100年前とほとんど変わっていないという厳然たる事実を示しています。
 精神に重い障碍を持つ人が、病院という閉ざされた場所に閉じ込められるのは、私たちの心の中に、自分たちとは異質なもの、理解できないものを恐れる気持ちがあるからです。個人主義を旨とする現在の日本社会では、異質なものでも周囲の秩序を乱さない限り、見て見ぬふりをします。そうした意味で、日本社会は100年前とは違います。しかし、いったん、その異質なものが周囲の人々の生活を脅かすような可能性が見えてくれば、全力でそれを排除しようとするという点では100年前と少しも変わりません。それを、精神障碍者への偏見、といった言葉でくくり、偏見を乗り越えるための啓発や教育の重要性を声高に主張する人がいます。しかし、私は、そんな簡単な問題ではないと思っています。教育や啓発で何とかなるなら、なぜ、私たちは、100年前の呉秀三と同じ光景を見ているのでしょうか。異質なものを恐れ、排除しようとする、私たちの態度は、私たちが生物として持っている本能、あるいは、長い歴史の中で私たちの文明が普遍的にたどってきた進化の結果だといってもよいと私は思います。こうした私たちの心性、あるいは習性が、ある条件の下で、異質なものに対する偏見・排除という形で顕在化します。問題は、その異質なものが、多くの場合、社会的マイノリティーであり、弱者であること、そして異質なるものを恐れる気持ちはちょっとしたきっかけで、それを排除しようとする理不尽な行動に直結するのだということです。重要なことは、教育や啓発では変えられない私たちの本能、文明の遺伝子を自覚し、常に注意を払うことだと思います。障碍を持つ人、特に、周囲との協調が難しい人たちを社会に受け入れていくことは容易なことではありません。どんなに頑張ってみても、少し気を緩めれば振出しに戻ってしまう異質なものへの差別をなくすためには、不断の努力が必要だと思います。
 さて、100年前、呉秀三は病院内の精神障碍者の処遇を改善し、私宅監置の惨状の中にある人々を病院の中に作られた理想的な環境に移そうとしました。私たちは今、病院の中の精神障碍者を社会に押し戻そうとしています。その社会のありようが、100年前とほとんど変わらないという前提に立てば、いわゆる脱病院に必要なのは、精神科病院を攻撃することではなく、精神に障碍を持つ人を受け入れ、社会で生きていくすべを提供するような施策を打つことです。
 呉秀三は、先の著書の中に、『わが邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸のほかに、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし』という有名な言葉を遺しています。この言葉は、長い間、日本の精神医療を改革しようとする人々を励まし、導いてきました。しかし、正直を言うと、私はこの言葉にずっと疑問を抱いてきました。少なくとも効率が優先され、規範が重視される現代社会に、精神障碍者が安心して暮らせる国があるでしょうか。長い鎖国を解き、進んだ西欧諸国に追いつくことが国を挙げての使命であった呉秀三の時代とは異なり、現在の日本に住んでいて、どこかにユートピアがある、という甘い幻想を追い求めていては何も解決できません。社会の厳しさ、自分自身の心の中にある異質なものへの恐怖を自覚して初めて、精神障碍に限らず、様々な障碍を持ち、『普通の人』から外れた人でも安心して生活できる社会を作ることができると私は信じます。新しい年も、私たちは、理想の社会の実現に一歩でも近づくことができるよう、努力していきたいと思います。