Vol.17 ファイナルカウントダウン(4) 医学界は新型コロナウイルス対策に主体的に貢献しなければならない

2021.1.7

 2021年、新しい年が始まった。前回の院長コラムを書いた12月31日に1,337人だった都内の新型コロナウイルス新規感染者数は、年が明けて1月7日、2,447人と過去最大を記録した。東京における感染はまさに猖獗を極めている。会食も年賀もあきらめた正月は寂しかったが、人出が少ない分、心なしか空気も澄んで、散歩する道の静けさと青い空は心に沁みた。新型コロナに振り回された2020年を反省し、感染がどうなろうと、今年は良い年にしようと心に誓った。
 今日の惨状は、経済活動維持を口実にした中途半端で非科学的な感染対策の当然の帰結である。早すぎた5月の緊急事態解除が、せっかく収まりかけた感染を再び拡大させた。7月前倒しで開始され、10月には東京にも適用されたGoToトラベルが全国にウイルスをまき散らし、9月末のGoToイートが日本中の都市で感染拡大を誘発してとどめを刺した感がある。結果として経済にも大きな傷を負わせ続けている。
 1月7日、政府は二度目の緊急事態宣言を発出した。対象は一都三県とし、その内容も極めて限定的だ。いずれにしても、It’s too late now. だ。首相は、「1か月」と言うが、事態がここまで来てしまっては、1か月というのは単なる希望的観測でしかない。しかもステージ3(感染急増)になったら解除を考えるというからあきれる。「必要な対策はステージ2(感染漸増)の状況になるまで継続する」というが、1年間ボディブローを打たれ続けて疲弊している国民が指示に従うだろうか。宣言を解除すれば一気に気が緩んでそのままステージ4に逆戻りするのは火を見るより明らかなことだ。総理大臣が芸能人を交えて会食をする、あちこちの地方議会で大人数の忘年会が開かれる、緊急事態宣言が出ようというとき、国会議員の会食について午後8時まで4人以下という原則を作ろうと与野党で協議する、こうした行為はすべて国民の士気を削ぎ、気の緩みを呼んで政策の効果を半減させる。
 政治や行政の責任はいうまでもないが、医学界の責任も大きい。専門家が参加する政府や都庁の諮問会議の中では様々な議論があったのだろう。政府の方針に異議を唱えた人もいるのだろう。しかし、その声がタイムリーに聞こえてこない。行政機関が組織する専門家会議は、多くの場合、行政が用意した方針を追認するような機能しか持ちえないということは、私も自分の経験から重々承知している。「私は会議で反対意見を述べましたが、政府に無視されました」というようなことを会議の外で述べれば、その人が諮問会議から外される。だから、無鉄砲に独走して会議から外され、決定に関与できなくなるということも褒められたことではない。けれども、今回の出来事は、国民の命にかかわる。感染によって失われる命だけではなく、ずるずると泥沼に引き込まれるような生活苦が多くの若い人の命を奪っている。政府部内に責任と権限を持つ専門家がいることが最も望ましいが、それができない現在の日本では、別の方法を考えなければならない。
 今、国民が必要としているのは、国を揺るがしている新型コロナウイルス感染に関する正しい情報である。ところが、新型コロナウイルス感染拡大に関連して国民に届くのは、マスコミのフィルターを通して無秩序に乱発される玉石混淆の「専門家」の意見だけである。これでは、国民が正しい情報を得ることはできない。視聴者は自分に都合のよいメッセージだけに飛びつき社会を混乱させ、防疫体制を揺るがす。
 これからでも遅くはない。公衆衛生、感染症等関連する学会等が共同で、政府からは独立したワーキンググループを組織し、情報を分析し、建設的な戦略を提言し、毎日でも記者会見してその時点での正しい医学的情報を発信すればよい。その際、記者の質問に十分に答えるということが重要だ。素人の質問の中に、素人に伝えなければいけない情報が何なのかを知るためのヒントがたくさん隠れている。専門家は、集まった記者の質問に答えるのではなく、カメラの向こうにいる国民に正しい情報を伝えるつもりで語りかけることが重要だ。今日の質問が、明日の会見で伝えるべき情報を教えてくれる。国民が求める情報が何であるのかを教えてくれる。病院の状況についても同様である。センセーショナルに、病床が足りない、医療崩壊だと騒ぐのではなく、どこに問題があるのか、どうすれば解決の糸口をつかめるのかを、実際に現場を担っている医療者が連携して情報を整理し、日々、それを発信しなければならない。それは私を含めて、公私を問わず、コロナ対策に参画している医療機関の医師の責任であろう。病床があればよいというものではないのだ。医療職の増員も、ロジスティックスの補強もできないのに病床を増やせば、今でも疲弊している医師、看護師の負担がさらに増大し、結果として医療現場の崩壊を助長する。医療職が病院で患者の治療に当たるのは当たり前のことである。だが、こうした非常時には、私たちが効率的に働ける職場環境を作ることが必要だ。そのためには、病院を利用する人たちみんなの理解と協力が不可欠である。各地域で、自分の地域の医療情報を、客観的な言葉、具体的な数値で開示し続けなければならない。
 私たちは非常に厳しい事態に直面している。しかし、絶望的な状況かといえばそういうわけでもない。厚生労働省が示している新型コロナウイルス感染者の退院基準は、症状が出た人の場合は発症日から10日間経過し、かつ、症状軽快後72時間経過した時点、無症状でPCR検査が陽性だった人の場合は、検査日から10日間経過した時点、というものである。つまり、重篤化した人の治療は別として、発症後10日すればたとえPCRが陰性化していなくても感染リスクは非常に低くなるということである。発症2、3日前から感染は起こりうるが、もし今日、私がどこかで新型コロナウイルスに感染したとしても、これから2週間、他人を感染させない行動をすれば、私が誰かに感染させることはないということだ。さらに2週間の自粛期間を加えても1か月である。国民すべてが、今日、自分が感染したと想定して、これから4週間、人との接触を最小限にすれば感染拡大は大幅に押さえ込めるということである。
 今回の緊急事態宣言で注意をしなければいけなのは、政府が示した指針がかえって感染機会を拡大する可能性があるということである。出勤者の7割削減と言いながら、5,000人までのイベントは可だという。たとえスタジアムや劇場の席ではソーシャルディスタンスが維持されたとしても、往復の公共交通機関はどうなるのだろう。5,000人の人を秩序立ててスタジアムやホールから自宅まで往復させるというようなことができるのだろうか。酒を提供する飲食店で酒の提供は11時から19時までにするというのも理解不能だ。2人でも、3人でも酒を飲みながら会食すれば大きな感染リスクが生じる。昼だろうと夜中だろうと違いはない。一方で、1人で黙って壁に向かって食事をするなら、何時でも問題ない。買い物だってそうだ。交通機関の混雑を避ければマスクをして買い物に行っても大きなリスクにはならない。やってよいことを無意味に規制せず、やってはいけないことは徹底してやめなければならない。
 目標は1か月の間に感染をコントロール可能な数まで抑え込むことだ。お互いにマスクを外さず、適切な距離を保てば相手に感染を拡大するリスクは小さい。加えて石鹸での手洗いを頻繁に行えば、感染リスクはもっと小さくなる。生活を共にする人以外との会食はやめるべきだ。たとえ、会場での感染防止策が十分でも、行き帰りに人が密集するような規模でのイベントは危ない。大都市で暮らす人は、感染リスクが高いことを自覚して、地方に出かけるのはやめよう。ビジネスだろうとレジャーだろうと関係ない。ただし、日本中で一斉にやらなければ意味がない。一都三県という意味がわからない。大阪の人だってじっとしているべきだ。
 もう一つ、大切なことは、自分の健康をしっかり管理することだ。熱があったり、咳が出たり、体調に異変があったら、軽症であっても仕事、学校を休もう。家族も外出を可能な限り控えたほうがいい。もしも、コロナに感染していたら、その時点で家族も濃厚接触者になっているからだ。この間、家族があちこち歩き回れば、そこでマスクなしに接触した人すべてが濃厚接触者になる。体調不良が続くならまずは電話でかかりつけ医に相談しよう。今の社会状況では、体の不調を押して仕事をする、学校に行くというのは、頑張りでも何でもない、ただのインモラルな行為だ。
 最後に、2021年を良い年にするために、私たちは、新型コロナウイルス感染が教えてくれたたくさんの教訓を心に刻もう。今回の新型コロナウイルス感染爆発は、医療ばかりでなく、日本社会のシステム、私たち国民の社会性など、様々な問題をあぶり出した。感染がおさまっても、今回機能不全に陥った政治・行政のシステム、医療制度、もろくも崩れようとしている私たちの頼りない道徳観のことを覚えておこう。そうすれば、私たちの社会はもっともっとよいものになるはずだ。それができるなら、あのパンデミックも悪くなかったと言える日が来るだろう。
 2021年をみんなの力で良い年にしよう。