Vol.12 2019年年頭に当たって 呉秀三先生のこと

2019.01.08

 新年、明けましておめでとうございます。2019年が明けました。松沢病院は今年、1879年の東京府癲狂院の開設から140周年、1919年に都心から当時の荏原郡松沢村に移転し、松沢病院という名前になってから100周年を迎えます。
 さて、松沢病院の歴代院長の中で、最も有名な人はだれか、と言われたら、松沢病院に関心のある人のほとんどすべてが第5代の院長だった呉秀三と答えるだろうと思います。呉秀三は1890年に後の東京帝国大学を卒業、1897年から1901年、オーストリア、ドイツに留学し、オーバシュタイナー、クラフト・エービング、クレペリンなど、その後の精神医学史に名を遺す巨人たちの下で研鑽を重ねました。1901年、帰国と同時に東京帝国大学医科大学教授となり、松沢病院の前身である東京府巣鴨病院の医長(院長のこと)となります。時に、呉秀三36歳、いくら明治時代とはいえ、呉がかくも若くして東京帝国大学教授、巣鴨病院医長となったのは、前任者、榊俶の急逝によるのですが、呉秀三は、以来1925年に退官するまで20有余年にわたってその職にありました。
 呉秀三の業績として最も広く一般に知られているのは、1918年に出版された『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』と呼ばれる書物です。これは1910年から16年にかけて行われた精神障害者の私宅監置に関する全国実態調査のまとめです。私宅監置というのは、1900年に公布された精神病者監護法に基づく、私宅での精神病者隔離のことを言います。公的機関が関与し、精神病によりやむを得ないと判断された患者についてのみ、戸主が私宅にいわゆる座敷牢のような構造を作り、患者を監置することを認めるというのがこの法律の趣旨でした。精神科病床などというものがほとんどなかった時代のことですから、勝手にやらせるより、公的な監督のもとに置こうということでしたが、結果として、この法律が劣悪な環境下に精神病患者を監置することに公的お墨付きを与えてしまったのです。その実態をつぶさに調査した呉は、この書物を発表し精神病者の処遇改善を訴えました。本書中に記された、「我邦十何万ノ精神病者ハ実ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ,此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ。精神病者ノ救済・保護ハ実ニ人道問題ニシテ,我邦目下ノ急務ト謂ハザルベカラズ」という呉秀三の言葉は、現在なお、日本の精神科医療関係者を叱咤し、鼓舞する言葉として、広く知られています。
 昨年、呉秀三の事績を顕彰する「夜明け前 呉秀三と無名の精神障害者の100年」という記録映画が公開され、反響を呼びました。呉秀三は、100年前、抗精神病薬も、mECTもなかった時代に、松沢病院から拘束具を追放し、保護室の使用を減らしました。
 同じく昨年、NHKクローズアップ現代プラスが、松沢病院が、近年、拘束を劇的に減らしたということに関するドキュメントを報じました。100年前に呉秀三が一掃したはずの拘束を減らしたことで、21世紀の現在、松沢病院は再び脚光を浴びているのです。両方の取材を受けながら、私はとても複雑な思いでした。
 2012年、松沢病院の身体拘束率は20%に迫っていました。現在は2~3%です。どうして松沢病院の拘束がかくも劇的に減ったのでしょう。患者さんを縛って精神医療はできないと、職員みんなが思ったからです。拘束をしない、ということのために、病院の構造や人的配置を変えたわけではありません。それどころか2012年度の新入院患者数は2,400人だったのが、18年度は3,800人に迫りそうなので、職員1人が対応する患者さんの数はおよそ1.5倍に増加しています。だから、「もう少し人手があれば」、とか、「保護室がたくさんあれば」、といったことで、拘束を減らしたわけではないのです。
 夜間、休日などに警察官通報によって診察をした結果、入院となる緊急措置入院という制度があります。同じ救急でも通院中の患者さん、紹介状を持った患者さんと違って、緊急措置診察をする患者さんの大部分は、詳しい病歴も生活歴も家族状況もわかりません。下手をすると名前さえわからない。はっきりしていることは、警察官に自傷他害の恐れがあると判断されて保護された、ということだけです。夜間、休日ですから、医師も看護師も当直、休日体制で極めて手薄です。そのため、2012年度は70%弱の患者さんが入院時に身体拘束を受けていました。それが今は2%です。拘束される患者さんが劇的に減少したのと同じ時期に、救急外来で静脈注射によって鎮静される患者さんが統計的に有意に減りました。拘束をやめたら、大量の薬剤で眠らせなければならなくなるのではないか、と考えていた私の心配は、まったくの杞憂に終わりました。さらに、この間、翌日から自分で精神科の薬を飲んでくれる患者さんの割合も増えました(江越・今井2018)。現在の、松沢病院における拘束の劇的削減は、拘束をしないで入院を受け入れてもらうために、職員が救急患者と真摯に向き合い、時間をかけて説得し、患者さんの苦しみに寄り添うことによって達成されたのです。
 短期間でなしえたことは、短期間で逆戻りする可能性があります。これから100年後の松沢病院で、再び、拘束削減を目指した取り組みが行われるようなことにならないよう、こうした姿勢を、松沢病院の文化として根付かせなくてはなりません。今年も、どうかよろしくご支援、ご鞭撻のほどをお願い申し上げます。