2003年4月号 下歯槽管損傷

2003.4月号

 下歯槽管損傷による下口唇の知覚麻痺は歯科医事紛争の1割を占めるそうです。経過が長期にわたることも稀ではなく、解決のために比較的高額の費用がかかることも多いといいます。原因として、埋伏歯抜歯、伝達麻酔、インプラント手術などが考えられます。大学の歯科麻酔科に在籍中、このような患者さんを数多く診る立場におりました。教授が麻痺をめぐる訴訟の鑑定人になったことから、訴状内容検討の下請けを仰せつかり、訴訟の大変さを窺い知り、事前説明の 重要性も痛感しました。
 神経繊維は高度に分化した組織で、一旦傷つくと回復には時間を要します。新米歯科医である先輩に下歯槽管を完全に切断された後輩が大学におりました。完全麻痺が長く続きましたが、7,8年で回復したそうです。いつか必ず治るとの知識があったので、不快さを我慢できました。下顎骨の悪性腫瘍摘出手術などで 下歯槽管の損傷が起こることもあります。この場合でさえも、年月が経つにつれて回復がみられます。
 平成6年の新装再開院以来、千人をはるかに超える埋伏智歯抜去のご依頼がありました。今までに4例、抜歯後に下口唇麻痺がみられました。幸い、いずれも 1週間から2ヶ月ほどで回復をみております。事前の充分なインフォームドコンセントのお陰です。当科は初診で埋伏智歯抜歯を行いません。X線写真や模型などを使い、術式や術後の不快事項、下口唇麻痺の可能性・確率などを説明し、次の診療日にたっぷりと時間をとって抜歯に臨みます。事前のインフォームドコンセントの重要性を身にしみて感じているためです。当科のこの方式をぜひともご理解下さい。
 麻痺が回復傾向を示し始めるときには、その質が違ってきます。正座で脚が痺れたとき、脚を伸ばすと痺れがとれ始め、このときに皮膚をつつくとじーんとした感じがします。この、麻痺とはちょっと違った感覚が、神経が回復し始めた兆候です。麻痺の治療は患部の血行促進が基本です。薬剤、マッサージ、温熱・赤 外線療法、鍼灸治療等々に加え、加持祈祷まで動員したい気持ちになりますが、いずれも即効は期待できません。

(注)参考文献:佐久間泰司:歯科臨床の法律学序説,日本歯科麻酔学会誌,2002,30巻,63

歯科コラム