2008年6月号 忘れられない歯肉出血の患者さん

2008.6月号

 昨年春のことです。ある病院から歯肉出血の患者さんを紹介されました。中年の女性でした。乳ガンの既往があり、1ヶ月程前には甲状腺癌の手術を受け、術後も創部からの出血が止まらず、何度か止血処置を行って改善を見て退院したばかりでした。2日程前から歯肉よりの出血が顕著になり当科を受診したのでした。
 上顎の両臼歯部歯肉からさらさらとした出血が見られました。歯周病のような歯肉には全く見えません。唾液に混じってすぐに口中が赤くなってしまいます。歯周ポケットは深くなく、歯科衛生士にも探ってもらいましたが、歯石はほとんど付着していませんでした。出血部を消毒してしばらく圧迫していると出血は少なくなりました。どう対処しようかと考えつつふと脚を見ると、内出血斑が目にとまりました。聞けば体の他の部分にもあるとのこと。緊急の血液検査では血小板は約8万と減少傾向で、他の止血機能検査値にも異常がみられました。単なる歯肉炎の出血ではないと判断し、内科に対診しました。
 DIC(播種性血管内凝固症候群)でした。紙面の関係で詳しい説明はできませんが、悪性腫瘍や白血病、感染症、大手術、外傷、産科的疾患などの基礎疾患を背景に、血液凝固系の活性化を引き金として起こるものです。血管内に存在している血液中で、全身性に微小血栓が多発して臓器障害を来すとともに、血液凝固因子や血小板が消費されて減少し、顕著な出血傾向を示す病気です。大学時代に口腔癌の手術後に1例経験したことがありました。
 直ちに患者さんはICUに移され、われわれも上下顎の止血シーネをつくってサージカルパックとともに装着し、歯肉出血を止める手伝いをしました。詳しい検査の結果、脳内出血も見られたために緊急の脳外手術が行われましたが改善せず、8日後に亡くなりました。
 歯肉出血への対応にかかわり、脚の内出血に気が付いたのは、患者さんが受診後、かなり経ってからのことでした。われわれ歯科医は口腔内に注意を集中しすぎ、全身を観察することがおろそかになりがちです。歯科外来で衣服を取ってもらうこともなかなかできません。患者さんがスラックスをはいていたら内出血を目にすることもできなかったかもしれません。歯周炎の歯肉出血とは明らかに違う、「この血は止まる気がないのではないか」と思わされる程の特異な出血でした。

P.S.日本歯科医師会雑誌5月号に「在宅医療と連携体制の推進・歯科への多様化したニーズにどう応えてゆくか」と題して拙文が載ります。お時間のある方は目を通して頂ければ幸いです。

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