2006年3月号 沖縄出張記・その1

2006.3月号

 皆さんは沖縄にいらしたことがありますか?海大好きの私にとっては第二の故郷です。抜けるような沖縄の青空から、次女の名も碧と名付けたくらいです。新婚 旅行も、その前年の予行演習も沖縄でした(-_-;)。当時は本土復帰して間もなくで、交通も車は右、人は左。本土とは逆でした。

 昭和54年9月、この沖縄に1ヵ月も出張できました。沖縄県と厚生省(当時)、日本歯科麻酔学会が共同で重度心身障害者の歯科治療をする事業です。治療 に協力的でない患者さんがほとんどで、全身麻酔下に一括治療をして、口腔内の改善を図るのです。日本歯科麻酔学会認定医の私が麻酔担当として派遣されたの でした。

 当時は歯科医師数も現在の半分ほどで、健常者でも今のように丁寧な治療が受けられていたとは言い難かった時代です。そのころの沖縄では、朝6時前から歯 科医院には治療の順番待ちの列ができたそうです。医師・歯科医師の極端な不足を補うべく、私の大学には「沖縄国費留学生」が各学年に数人はいました。
 障害のため治療に非協力な患者さんに、孤立無援で全身麻酔をかけねばなりません。誕生して数年の日本歯科麻酔学会の名誉のためにも全麻で三須は犯せませ ん。着任早々、県庁や県歯科医師会の歓迎責めにあいましたが、酔えません。治療開始が近づくにつれて神経性の下痢に陥りかけました。
 那覇市隣の浦添市に歯科医師会館があり、ここで月から金まで毎日1・2例を全身麻酔下に一括治療するのです。「てだこ学園」という施設の入所者が対象で した。歯磨きをできないため、口腔内は悲惨で、歯のほとんどが虫歯でボロボロか、歯槽膿漏でグラグラでした。患者さんが全身麻酔で眠ったら、先ず歯科衛生 士さんに溜まりに溜まった歯垢と歯石を除去してもらいました。一人の患者さんの治療機会は一回しかありません。根管治療で保存が可能な歯でも、抜くしかあ りません。9月下旬になると患者さんに付き添ってくる施設の職員から不思議そうに尋ねられました。「施設にこもっていた特有の悪臭が薄らいだ気がするので すが、なぜでしょうか?」。高齢者や障害者施設の臭いのかなりの部分が口臭によるものである証です。

 沖縄には琉球新報と沖縄タイムスという地方紙があります。「全身麻酔による障害者歯科治療始まる・いっぺんに全歯抜歯のケースも」という記事が私の写真 入りで掲載されました。歯科治療担当は慈恵医大口腔外科の若手、鎮目正美先生(男性)でしたが、記事では所属が慈恵医大口膣外科と誤植され、県歯が新聞社 に厳重抗議しました。

(続きます)

 本号が「都立」荏原病院での最後となります。「公社」荏原病院になってもどうかよろしくお願いします。

歯科コラム