2005年1月号 呼吸停止からの生還・その3

2005.1月号

 新年明けましておめでとうございます。本年も当院・当科をよろしくご支援下さい。
 本コラムを書き始めて10年目に突入です。お陰様で拙著「病診連携まっしぐら・歯科医療連携の最前線」(医歯薬出版)は発売1ヶ月ほどで第一刷がほとんど売り切れたそうです。ありがとうございました。学会場などで自分の本が売られているのを見るのは、うれし恥ずかしい不思議な気分です。

 さて、心臓はかろうじて動いているけれど、呼吸は止まってしまった患者さんに呼気吹き込みを始めたその後です。救急蘇生法の実習で人形相手に人工呼吸を デモったことは何度もありましたが、生身の人間、それも危機に瀕した人にかぶりつく本番は初めてでした。最初の呼気吹き込みで、肺へ確実に入っている”口応え”というか、手応えは感じました。必死に呼気を吹き込みながら『蘇生実習用の人形より人間の方が人工呼吸はやりやすいもんだ』とか『蘇らなかったら、 責任の所在はどうなるんだ?オレは関係ないだろうなあ』などと、夢中ではありながら、頭の隅では切れ切れにそんなことを考えている不思議な精神状態でした。人形相手に人工呼吸をすると過呼吸状態に陥り、頭がぼーっとして続かなくなるものです。が、修羅場の本番ではストップがかからない限り、永久にやり続けたように思います。

 必死の呼気吹き込みは時間にしてわずか数分だったでしょうか。「なんだ、呼吸してるじゃないか」の声が聞こえました。応援の同僚が駆けつけたのです。我に返って唇を離し、患者さんの胸部を見ると、かぶりつく前には確かに動いていなかった横隔膜のあたりが、ひょこひょこと動いているではありませんか。壁際 にうっちゃられていた麻酔器も、その頃までには組み立てられ、酸素吸入の用意が整っていました。「鼻をつまんでいる指を離せや」と言われて初めて、唇は離したものの、自分が患者さんの鼻をきつくつまみ続けていることに気がつきました。修羅場の一種独特の雰囲気です。顔マスクを当てて酸素を与え始めて少しすると、患者さんの顔に赤みがさしました。

(もう1回続きます)

歯科コラム